脇坂俊郎水彩画文集Ⅰ-2(No.50~83) [画文集「かくもながき愉しみ」]
50 猫
猫はキャノンの新聞広告写真から拝借した。
右下が淋しいのでペンで猫を入れ、二人の間も空いていたので花を入れた。
窓の外に若い木をいれたので裸婦は逆光にした。
いきあたりばったりである。
最近もペットブームという。
たしかに犬や猫を飼う人が増えているように思う。
それもその可愛がりようが尋常でない。
犬はTシャツを着せられ、人の子より手をかけている風情がある。
犬に話しかけているのを、ときどき聞くともなく聞こえてくることがあるが、優しいことこのうえもない。
犬も猫も人類の古くからの友達ではあるが、この頃は友達の域を越えたのかもしれない。
この絵の猫は虎のように見えてあまり可愛らしくない。
これでは、ローンを借りて飼うというまではいかないだろう。
51 ひまわり
ひまわりはひまわりをもって制す。
背景はスペインのひまわり畑にした。
西洋風の建物風景のほうがムードが出たかもしれない。
例によってバックはもっと淡い方が良い。
気になるのはペインズグレイによる葉などの線。強すぎる。
52 バイオリンと教会
背景はブタペストの聖マーチャーシュ教会。
例によって濃くしすぎた。 もっと淡くていい。
53 ふたり
この絵は、画像補正をしている。
原画より鮮やかになっている。
水彩でこう鮮やかに描くにはどうすれば良いのか。練習なので身体全体を描いているがプロポーションが難しい。
頭の大きさを決めるのがポイントのようだ
54 マンドリン
背景を一工夫してみた。
全体にまとまりと中心になるものがない。
従って見る人は何から見てよいのやら分からない感じだ。最初に中心となるものに眼がいき、順に、眼移りするのが理想だが。それにしても左の果物は桃であるが桃に見えない。
55 ふたり(ペン)
No.53と同じ絵をペンで描いた。
人物は左右入れ替わっている。
背景はパリのカフェのつもり。こちら側は部屋の中、したがって窓からそれを見ているという図。
二人の間に白いカーテンが風で揺れている。(揺れていない)。
絵を説明しても何の意味もない。
56 モンステラ
この絵はモンステラより、背景の己地の方が人物を引き立たせているように思える。
モンステラは一色のほうが良いと思うが好きな青色系がまだ身についていない。
つい混色してしまう
57 石榴
ざくろ、柿、葡萄,りんご、プルーン。
果物は形もだが、色が難しい。
まん中の黄色いのはレモンだが、レモンに見えぬ。
全体を少し斜め上から見ているが配置もなかなかどうして難儀だ。
58 明日香村の曼珠沙華
平成8年頃撮った写真を見て描いたもの。眼の前に広がる田んぼの稲が稔り、畦に咲く曼珠沙華の異様な赤色にその黄色が映えていた。
その景観に言葉に表わせられないようなある種のショックを受けたことを思い出す。
59 明治学院大学
バス停から見て描いた。実は手前に柵がある。
手前の芝生はフェアウェイのようになだらかなスロープだが、その感じはまったく表現できなかった。
白い壁と貼り付けられた木の細い板の模様が、実際には綺麗なのだが絵ではそれも表現出来ていない。
左の木もまだまだだ。
60 新宿御苑のゆりの木
大きくてこんもりしたゆりの木。紅葉一歩手前の木だが、画面に入らないくらいの大木にチャレンジ。
あえなく力量不足を露呈して終わる。
F2をもう一枚描き、帰ってから撮ってきた写真をみてさらにF4をもう一枚、計3枚描いたが、自分では現場で描いたこの最初のものが一番良いという情無い結果だった。
61 ネリネ
これは、構図も失敗。
花は難しい。
いきいきと描くのは至難だ。
ネリネとはあたしのことか曼珠沙華 杜 詩郎
62 グラジオラス
あいかわらず、花はむずかしい。
はなびらの薄いはかなさ、半開の美など、とらえられるのはいつのことになるやら。
歳時記を見ると、グラジオラスは、唐(たう)菖蒲または和蘭(オランダ)あやめともいうとか。
赤とピンクは、西洋曼珠沙華(ネリネ)だが、これもなかなか絵にならない。
道は遠い。
船室に活けて反り身のグラジオラス 高木公園
63 ベリーダンサー
新宿のトルコ料理のイスタンプールで踊るベリーダンスの踊り子。
belly とはおへそのこと。
ベリーダンスは映画などで見ただけで実際に見たことはない。モデルはシースルーのスカートをはいているが、それらしくは見えない。
64 アマリリス
アマリリスの赤はもっと強烈な赤だ。
何色を使えばこの色が出るのか分からない。
ヴァ―ミリオンではない。ガランスか。
それにアマリリスの花はもっと大柄だ。
ペンでも鉛筆でも美しい花を捉えるのは難しい。もっともっと生き生きしている。
アマリリス妬みごころは男にも 樋笠 文
アマリリスは夏の季語。嫉妬心は何色だろうか。
65 クリスマスカレンダー
2007カレンダー用紙は、あまり水彩絵の具を吸わないので勝手が違う。
シクラメンがらしく描けない。
右の赤はポインセチアで手前の赤はカラス瓜。
これらも「らしく」ない。
一年のカレンダーにクリスマスの 絵を描くのも少し変だが、いずれにしても、一年間も貼って見るのに堪えられる絵かどうか怪しい。
籠の中の小鳥は実際にはいないのだが、出来上がった絵が寂しいので入れた。
青い鳥だ。
みんなに常せを運んでくれるように祈って。
66 ミルク瓶
バックはピンクの己。このピンク色が曲者。たたみ皺も。
白いミルク瓶は何色に塗れば良いのか。
実際にはもっと白い。もっと白くするには何色を塗れば良いのか。
子規の水彩と漱石 はじめて子規の水彩画集を見た。
これは、その一枚。
短歌を添えて漱石へとある。
右下の添え書きがすごい。
小さくて読めないがこうある。
「コレハ萎ミカケタ処ト思ヒタマヘ畫ガマズイノハ病人ダカラト思ヒタマヘ嘘ダトオモハバ肘ツイテカイテ見玉へ」とある。
漱石への友情あふれる歌も良いが、絵も良い。
写生に徹した俳人は水彩画も上手い。
しかもカリエスを患った重い病人である。
明治人の気概が伝わってくるような絵だ。
文豪漱石も水彩画を描くが、俳句同様子規のほうが一枚上という感じがする。
それぞれ個性的といえばそれまでだが。
それにしても子規と漱石のコラボレーションは羨ましいとしか言いようがない。
それが後世に与えた文学的影響の大きさを思う。
67 安曇野雪景色(有明山)
安曇野の写真(左下)は、秋のもの。
絵の練習のためにそれに、雪を降らせ、積もらせた。
実際の雪景色はたぶん、こうではないだろう。もっと黒くて、それでいて白く明るいのではないかなと思う。雪の白を何色で染めたらより白くなるか・・・それが練習だといわれても、辛いものがある。
68 ナポレオン
静物は、どう描けばよいのか。
主役がひとつあって見る人はそこから順番にほかのものを見ていくのが良いのか。
この絵のメインは何か。古時計か。地球儀か。置物の猫か。
後ろの絵はナポレオン展のポスターだが、背景のくせに目立つ。
人物はどうしても目立ってしまう。
構図というより、置物が机の上にちゃんと乗っていないとか、光はどちらから来ているのか、とか技術的に水準がまだまだ低くて話しにならない。
69 静物Avocado
石榴やアボカド、りんご、レモンなど盛りだくさんの果物。
ひとつひとつに個性があって難しい。
果物そのものは勿論だが、背景も重要なようだ。
これは一筆入れただけという感じにした。
色を重ねていないのでこのあとをどうするかが問題である。このままが良いかもしれない。
また、果物の輪郭を8Bの鉛筆で、あとからとって見たが、どうか。
試行錯誤がつづく。
70 フラメンコ2・フルート2
フラメンコ2 一年前の2006.3.3に描いた絵に手を入れた。
人物に手を入れると背景が気になり、背景を濃くすると人物を強くしたくなる。悪循環である。
フラメンコの衣装も柔らかさが出ていない。
帽子の陰になっている顔も上手くかけていない。
課題の多い絵だが、自分ではこのポーズを含めてなんとなく気に入っている。
フルート2 これも昨年春ごろ描いたものに手を入れた。
まず、左上の鴎を描いて、♪かもめが飛んだ・・・としたら、横浜ハーバーを描きたくなった。
海の上に立つ高層ビルを人物の両脇に入れる。最後にしつこく右下にまたかもめを飛ばした。
行き当りばったりの絵である。
flutist の顔も当初と少し変った。もっと、童女風だった。
水彩は油彩と違い文字通り水を生かして、光と影を捉え美しさを表現するものだとすると、これも上の絵も水彩ではないのだろうか。
淡彩を学ばねばならないとあらためて考えさせられた絵。
この2枚はいずれもグループ展に出品した作品。
71 ハンガリー王宮の丘
ハンガリーの民族衣装なので、つい肩に力が入った。
もう10 年以上前になるが、ブダペストを訪れたことがある。そのときに撮った写真を背景に入れてみた。ブダにある王宮をペスト側から見たもの。
また、例によってその背景が強くなっている。
ハンガリーは、魅力的な国である。絵にそぐわないが、テーブルの上に貴腐ワイン・トカイを入れた。
ある人が水彩も良いが紙が波打ってどうしたらよいやら難儀すると言われた。
そういえば、自分はそれで悩んだことがない。
水張りもしたことがない。あまり水を使わないのが自分の水彩の特徴だったのだ。だからタッチもいっこうに水彩風にならない。
いままで、あまりやったことがなかったが、この絵は背景の下のほうは、水をたっぷり使ってぼかしてみた。水彩の基本技法に、にじみ、ぼかしがあるということをやっと思いだしたていである。
水彩は「水」だ!だから水彩というのだ・・・と、習い始めて2年8ヶ月もしてやっと気が付いた。
情け無い話である。
72 ブダペストドナウの流れ
ハンガリーの民族衣装の女性。
2 枚目をアルシェで描いた。
背景は、ドナウ対岸のペストのハンガリー国会議事堂をブダ側から見た風景。これも昔現地で撮った写真を見て入れた。
ハンガリー共和国はエンカルタ大百科によれば、人口は約1000万人。
その90パーセントがマジャール人(ハンガリー人)という。
日本と同じ蒙古系(モンゴロイド)民族で、言葉も膠着語で文法などは似ているという。
そのせいか、ヨーロッパではなんとなく親しみを感じる国である。
人物画というのは、きっと、こういうものではないだろうと思うが、いまは、顔や表情とか手足と体全体のバランスなどを意識して練習している。
大沼さんの絵 この絵は、大沼さんに戴いた小さな水彩画。
写真は実物におよばない。
無駄の無い速いタッチの鉛筆の線が生き生きしている。
色はうすい紫と黄色がなんともいえないムードをつくっている。
見た人は、皆例外なく素晴らしいと言う。
73 椰子の実
え? どれが椰子の実だって? と言われそう。まん中にあるのがまだ青い椰子の実である。
♪名も知らぬ遠き島より~ インドネシアで道端で売っている椰子の実の汁をストローで飲んだことがある。案内してくれた現地法人・製紙会社の人が、これなら大丈夫と太鼓判を押されたものだったが、よくおなかをやられるそうで要注意だそうである。
絵は、背景にアールヌーボー展のポスターがある。
上の鉛筆の絵は現物を見て描いた。
下のペンは写真を見て描いたもの。
違いは歴然としている。
ペンは、整っているが迫力がない。
かといって鉛筆の方に迫力があるともいえない。
どちらもまだ何かが足りないことだけははっきりしている。
74 てっせん
クレマチス。花だけを描くというのが課題だったが、知らずに植木鉢まで入れてしまった。
先生の話を普段からよく聞いていない証拠だ。上手くなるはずがない。
この絵はもう少してっせんのつるを入れたい。
奔放に。
鉄線花 うしろを雲のはしりけり 大嶽播水
水彩画のおけいこ
水彩画の教室に通いはじめて、2 年半になる。
水彩画なんて技術的にはそう難しいこともないだろうから、一年もすれば飽きるだろうと思っていた。が、実際には、そんなことはなかった。何枚描いてもうまくかけない。
夏目漱石は、水彩画が好きで良く描いたそうだが、あまり上手くならなかったという。
「遠近無差別、黒白平等・・・」などと小説のなかで言っていて少し自棄(やけ)になった気配だ。気持ちが分かるような気がする。
自分は3 年も習っているのに上手くならないので 絵筆(ふで)折らん花半開の甃(いし)のうへ という駄句をつくった。
花は、満開でなく半開が一番美しいという。
甃(いしだたみ)の上に、桜が五分咲きに咲いていて絵にしたいと思うのだが、あまりの美しさに描くことができない。
そこでもう絵をやめようかと思っているさまを 詠んだつもりである。
甃(いし)は、「石の上にも3 年」の石だ。
駄句につき、句意は、ひとに多分伝わらないだろうが、花を描くたび正直、いきいきしたこの美しい花を、絵にするのは不可能だなといつも思う。
(19.4.22 )
75 帽子の女性
ふたりの女性がテーマ。後ろ向きの女性のほうが、なにやら意味ありげでたのしいのは皮肉。後ろの女性との間に空間が感じられると、良いのだがうまくいかない。観葉植物バキラが間にあるように描きたいものだ。
2枚目の帽子の女性。
帽子の模様と顔の日差しが描きたくて上半身だけにした。未完成である。これからどう変化するか。
たいていは失敗する。
76 芍薬と百合
この絵は、はじめて水彩のぼかしの練習をした作品である。
何か、焦点のないぼやけたものになった。ぼかしだから仕方がない。真中の芍薬は、実際はもっと白い。
百合はなにゆりというのか、ピンクである。構図は壷の位置が少し下すぎはしないか。
イマイチ。
もっと色を塗りたいが、ぼかしの練習なのでここで止める。
77 赤いスカート
スカートの赤い色が上手く描けない。
スカートは薄い己地と少し厚い己地が重なっているのだが、それを表現出来ていない。
羽織っているショールもらしくない。
一番の問題はデッサン。
座った腰が安定していない。
すべてまだまだである。
78 フルーツ
りんごは何回描いてもりんごにならない。
ぶどうも巨峰やマスカットとほど遠い。
二つの梨はなかでも出来が悪い。
バナナも難しい。
要するにすべてが果物になっていない。もちろん、本物と同じでなくてよいのだが、果物らしさがもうひとつ出ていないのだ。味がない。
79 本と貝殻など
この絵は、細密画の練習作品。などとは、チェスと鬼灯とビー球2個。
説明を要する細密画とは情けない。
このなかでは、貝殻が一番難しかった。捉えどころがない。
ビー球も光のかげんが表現できていない。かんじんの本もページというか、紙の質が難儀である。細密画はもっと細いペンがいいのか、良くわからない。
80 アンセリウム
アンセリウムはもっと強い赤である。薄緑のものも赤の下にある。
真中にあるピンクの花の名はわからない。ほかはピンクと白のユリ。デジカメ写真をプリントして病気見舞いにして、二句を添えた。
花の絵に腹の本復祈りをり ご快気をアンセリウムに祈りをり 杜 詩郎
81 チャイナドレス
この絵は、もうない。欲をだして右側に西安の大雁塔を入れて失敗・自滅した。
むかし仕事で西安に行ったことがあってホテルには中国服の美しい従業員が大勢颯爽と服務していたことを絵を描いていて思いだした。
また、はじめて連句を教えて貰ったときに宗匠が
煮物つくるか醤油のにほい 晴坊 と詠まれたとき
白檀やチャイナスリット眼を逸らし 俊 と恋の句を付けた。
恋の句は普通二句続けるので、
ツアーネームはふたりの蘇州 俊 と付けたことを思い出した。今となってはいずれも懐かしい思い出である。
晴坊さんのこと 昨年(H18 年)の暮れ、畏敬する晴坊さんの訃音に接した。晴坊は会社の先輩、岡田晴彦氏の俳号である。
仕事のうえで多くを教わり、酒も一緒に飲み、たくさんの良い思い出をいただいた。
多趣味の文人で落語、俳句、連句は玄人はだしであった。
時折り俳句や連句のことを教えて頂いたことが懐かしい。
私も水彩を習いはじめたんですよ、とグループ展にはじめて出品するときに 母と子の公園デビュー春の風と駄句を付して案内状を差し上げたら見に来てくださった。
「見たよ」とはがきをくださり、 眼福や画廊をでれば春の風 とあった。
むかし、晴坊さんと雑談したとき、青森の酸ケ湯温泉には、 眼福や朝の酸ケ湯の四分六分 という句があったと話したことががあり、 晴坊さんがいたく面白がったことを思い出した。
「眼福や」と言えば私の絵が何であったか容易に分かるというものだが, あとから初心者が出品する絵ではないと人から言われ、愧入ったものの遅かった。
晴坊さんは、僕もまた新しいことを今度始めるんだよとおっしゃっておられた。
それが何かは聞かずじまいになってしまった。
(19.4.2)
82 コスモスと吾亦紅
コスモスも吾亦紅もとらえどころがなく絵にするのはきつい。透明なガラスのジョッキもどう描いたら良いのやら。嘆いている間に終わってしまった。
吾亦紅もコスモスも実物はなんと素晴らしいことか。
真っ先に暮れていくなり吾亦紅 本岡歌子
コスモスのまだ触れ合わぬ花の数 清崎敏郎 汝亦紅「なれもこう」というのはなかったろうか。
富岡さんの絵 かつての職場の我が尊敬する先輩である富岡さんに頂いた2 葉の絵はがき。
上は水彩。
下は6 号油彩。
はがき絵をスキャナーで取り込んでいるので、当然実物とは程遠くなっているが絵の素晴らしさは良くわかる。
2 枚とも作者が何に感動し写しとろうとしたかがはっきりしている。
このような絵をみると、うまく表現できないが平たく言えばやる気をなくする感じがする。
戦意?喪失という感じでもある。
このくらいなら自分でも描けそうだという感じが全くしないのである。
よく水彩でスケッチをして、家に帰ってから油彩を描くということを聞くが、この2 葉はまさにそれである。
こういうことができるのは本当に羨ましい限りである。
83 芝離宮恩賜公園Ⅱ
2 回目の芝離宮スケッチ。上段は現地で描いたもの。
中段は、教室に戻り下段の写真を見て描いたもので鉛筆は8B。
風景は難しいが、ちょっと絵の具でいじると雰囲気ががらりと変わる瞬間がある。
それが面白いのかもしれない。
猫はキャノンの新聞広告写真から拝借した。
右下が淋しいのでペンで猫を入れ、二人の間も空いていたので花を入れた。
窓の外に若い木をいれたので裸婦は逆光にした。
いきあたりばったりである。
最近もペットブームという。
たしかに犬や猫を飼う人が増えているように思う。
それもその可愛がりようが尋常でない。
犬はTシャツを着せられ、人の子より手をかけている風情がある。
犬に話しかけているのを、ときどき聞くともなく聞こえてくることがあるが、優しいことこのうえもない。
犬も猫も人類の古くからの友達ではあるが、この頃は友達の域を越えたのかもしれない。
この絵の猫は虎のように見えてあまり可愛らしくない。
これでは、ローンを借りて飼うというまではいかないだろう。
51 ひまわり
ひまわりはひまわりをもって制す。
背景はスペインのひまわり畑にした。
西洋風の建物風景のほうがムードが出たかもしれない。
例によってバックはもっと淡い方が良い。
気になるのはペインズグレイによる葉などの線。強すぎる。
52 バイオリンと教会
背景はブタペストの聖マーチャーシュ教会。
例によって濃くしすぎた。 もっと淡くていい。
53 ふたり
この絵は、画像補正をしている。
原画より鮮やかになっている。
水彩でこう鮮やかに描くにはどうすれば良いのか。練習なので身体全体を描いているがプロポーションが難しい。
頭の大きさを決めるのがポイントのようだ
54 マンドリン
背景を一工夫してみた。
全体にまとまりと中心になるものがない。
従って見る人は何から見てよいのやら分からない感じだ。最初に中心となるものに眼がいき、順に、眼移りするのが理想だが。それにしても左の果物は桃であるが桃に見えない。
55 ふたり(ペン)
No.53と同じ絵をペンで描いた。
人物は左右入れ替わっている。
背景はパリのカフェのつもり。こちら側は部屋の中、したがって窓からそれを見ているという図。
二人の間に白いカーテンが風で揺れている。(揺れていない)。
絵を説明しても何の意味もない。
56 モンステラ
この絵はモンステラより、背景の己地の方が人物を引き立たせているように思える。
モンステラは一色のほうが良いと思うが好きな青色系がまだ身についていない。
つい混色してしまう
57 石榴
ざくろ、柿、葡萄,りんご、プルーン。
果物は形もだが、色が難しい。
まん中の黄色いのはレモンだが、レモンに見えぬ。
全体を少し斜め上から見ているが配置もなかなかどうして難儀だ。
58 明日香村の曼珠沙華
平成8年頃撮った写真を見て描いたもの。眼の前に広がる田んぼの稲が稔り、畦に咲く曼珠沙華の異様な赤色にその黄色が映えていた。
その景観に言葉に表わせられないようなある種のショックを受けたことを思い出す。
59 明治学院大学
バス停から見て描いた。実は手前に柵がある。
手前の芝生はフェアウェイのようになだらかなスロープだが、その感じはまったく表現できなかった。
白い壁と貼り付けられた木の細い板の模様が、実際には綺麗なのだが絵ではそれも表現出来ていない。
左の木もまだまだだ。
60 新宿御苑のゆりの木
大きくてこんもりしたゆりの木。紅葉一歩手前の木だが、画面に入らないくらいの大木にチャレンジ。
あえなく力量不足を露呈して終わる。
F2をもう一枚描き、帰ってから撮ってきた写真をみてさらにF4をもう一枚、計3枚描いたが、自分では現場で描いたこの最初のものが一番良いという情無い結果だった。
61 ネリネ
これは、構図も失敗。
花は難しい。
いきいきと描くのは至難だ。
ネリネとはあたしのことか曼珠沙華 杜 詩郎
62 グラジオラス
あいかわらず、花はむずかしい。
はなびらの薄いはかなさ、半開の美など、とらえられるのはいつのことになるやら。
歳時記を見ると、グラジオラスは、唐(たう)菖蒲または和蘭(オランダ)あやめともいうとか。
赤とピンクは、西洋曼珠沙華(ネリネ)だが、これもなかなか絵にならない。
道は遠い。
船室に活けて反り身のグラジオラス 高木公園
63 ベリーダンサー
新宿のトルコ料理のイスタンプールで踊るベリーダンスの踊り子。
belly とはおへそのこと。
ベリーダンスは映画などで見ただけで実際に見たことはない。モデルはシースルーのスカートをはいているが、それらしくは見えない。
64 アマリリス
アマリリスの赤はもっと強烈な赤だ。
何色を使えばこの色が出るのか分からない。
ヴァ―ミリオンではない。ガランスか。
それにアマリリスの花はもっと大柄だ。
ペンでも鉛筆でも美しい花を捉えるのは難しい。もっともっと生き生きしている。
アマリリス妬みごころは男にも 樋笠 文
アマリリスは夏の季語。嫉妬心は何色だろうか。
65 クリスマスカレンダー
2007カレンダー用紙は、あまり水彩絵の具を吸わないので勝手が違う。
シクラメンがらしく描けない。
右の赤はポインセチアで手前の赤はカラス瓜。
これらも「らしく」ない。
一年のカレンダーにクリスマスの 絵を描くのも少し変だが、いずれにしても、一年間も貼って見るのに堪えられる絵かどうか怪しい。
籠の中の小鳥は実際にはいないのだが、出来上がった絵が寂しいので入れた。
青い鳥だ。
みんなに常せを運んでくれるように祈って。
66 ミルク瓶
バックはピンクの己。このピンク色が曲者。たたみ皺も。
白いミルク瓶は何色に塗れば良いのか。
実際にはもっと白い。もっと白くするには何色を塗れば良いのか。
子規の水彩と漱石 はじめて子規の水彩画集を見た。
これは、その一枚。
短歌を添えて漱石へとある。
右下の添え書きがすごい。
小さくて読めないがこうある。
「コレハ萎ミカケタ処ト思ヒタマヘ畫ガマズイノハ病人ダカラト思ヒタマヘ嘘ダトオモハバ肘ツイテカイテ見玉へ」とある。
漱石への友情あふれる歌も良いが、絵も良い。
写生に徹した俳人は水彩画も上手い。
しかもカリエスを患った重い病人である。
明治人の気概が伝わってくるような絵だ。
文豪漱石も水彩画を描くが、俳句同様子規のほうが一枚上という感じがする。
それぞれ個性的といえばそれまでだが。
それにしても子規と漱石のコラボレーションは羨ましいとしか言いようがない。
それが後世に与えた文学的影響の大きさを思う。
67 安曇野雪景色(有明山)
安曇野の写真(左下)は、秋のもの。
絵の練習のためにそれに、雪を降らせ、積もらせた。
実際の雪景色はたぶん、こうではないだろう。もっと黒くて、それでいて白く明るいのではないかなと思う。雪の白を何色で染めたらより白くなるか・・・それが練習だといわれても、辛いものがある。
68 ナポレオン
静物は、どう描けばよいのか。
主役がひとつあって見る人はそこから順番にほかのものを見ていくのが良いのか。
この絵のメインは何か。古時計か。地球儀か。置物の猫か。
後ろの絵はナポレオン展のポスターだが、背景のくせに目立つ。
人物はどうしても目立ってしまう。
構図というより、置物が机の上にちゃんと乗っていないとか、光はどちらから来ているのか、とか技術的に水準がまだまだ低くて話しにならない。
69 静物Avocado
石榴やアボカド、りんご、レモンなど盛りだくさんの果物。
ひとつひとつに個性があって難しい。
果物そのものは勿論だが、背景も重要なようだ。
これは一筆入れただけという感じにした。
色を重ねていないのでこのあとをどうするかが問題である。このままが良いかもしれない。
また、果物の輪郭を8Bの鉛筆で、あとからとって見たが、どうか。
試行錯誤がつづく。
70 フラメンコ2・フルート2
フラメンコ2 一年前の2006.3.3に描いた絵に手を入れた。
人物に手を入れると背景が気になり、背景を濃くすると人物を強くしたくなる。悪循環である。
フラメンコの衣装も柔らかさが出ていない。
帽子の陰になっている顔も上手くかけていない。
課題の多い絵だが、自分ではこのポーズを含めてなんとなく気に入っている。
フルート2 これも昨年春ごろ描いたものに手を入れた。
まず、左上の鴎を描いて、♪かもめが飛んだ・・・としたら、横浜ハーバーを描きたくなった。
海の上に立つ高層ビルを人物の両脇に入れる。最後にしつこく右下にまたかもめを飛ばした。
行き当りばったりの絵である。
flutist の顔も当初と少し変った。もっと、童女風だった。
水彩は油彩と違い文字通り水を生かして、光と影を捉え美しさを表現するものだとすると、これも上の絵も水彩ではないのだろうか。
淡彩を学ばねばならないとあらためて考えさせられた絵。
この2枚はいずれもグループ展に出品した作品。
71 ハンガリー王宮の丘
ハンガリーの民族衣装なので、つい肩に力が入った。
もう10 年以上前になるが、ブダペストを訪れたことがある。そのときに撮った写真を背景に入れてみた。ブダにある王宮をペスト側から見たもの。
また、例によってその背景が強くなっている。
ハンガリーは、魅力的な国である。絵にそぐわないが、テーブルの上に貴腐ワイン・トカイを入れた。
ある人が水彩も良いが紙が波打ってどうしたらよいやら難儀すると言われた。
そういえば、自分はそれで悩んだことがない。
水張りもしたことがない。あまり水を使わないのが自分の水彩の特徴だったのだ。だからタッチもいっこうに水彩風にならない。
いままで、あまりやったことがなかったが、この絵は背景の下のほうは、水をたっぷり使ってぼかしてみた。水彩の基本技法に、にじみ、ぼかしがあるということをやっと思いだしたていである。
水彩は「水」だ!だから水彩というのだ・・・と、習い始めて2年8ヶ月もしてやっと気が付いた。
情け無い話である。
72 ブダペストドナウの流れ
ハンガリーの民族衣装の女性。
2 枚目をアルシェで描いた。
背景は、ドナウ対岸のペストのハンガリー国会議事堂をブダ側から見た風景。これも昔現地で撮った写真を見て入れた。
ハンガリー共和国はエンカルタ大百科によれば、人口は約1000万人。
その90パーセントがマジャール人(ハンガリー人)という。
日本と同じ蒙古系(モンゴロイド)民族で、言葉も膠着語で文法などは似ているという。
そのせいか、ヨーロッパではなんとなく親しみを感じる国である。
人物画というのは、きっと、こういうものではないだろうと思うが、いまは、顔や表情とか手足と体全体のバランスなどを意識して練習している。
大沼さんの絵 この絵は、大沼さんに戴いた小さな水彩画。
写真は実物におよばない。
無駄の無い速いタッチの鉛筆の線が生き生きしている。
色はうすい紫と黄色がなんともいえないムードをつくっている。
見た人は、皆例外なく素晴らしいと言う。
73 椰子の実
え? どれが椰子の実だって? と言われそう。まん中にあるのがまだ青い椰子の実である。
♪名も知らぬ遠き島より~ インドネシアで道端で売っている椰子の実の汁をストローで飲んだことがある。案内してくれた現地法人・製紙会社の人が、これなら大丈夫と太鼓判を押されたものだったが、よくおなかをやられるそうで要注意だそうである。
絵は、背景にアールヌーボー展のポスターがある。
上の鉛筆の絵は現物を見て描いた。
下のペンは写真を見て描いたもの。
違いは歴然としている。
ペンは、整っているが迫力がない。
かといって鉛筆の方に迫力があるともいえない。
どちらもまだ何かが足りないことだけははっきりしている。
74 てっせん
クレマチス。花だけを描くというのが課題だったが、知らずに植木鉢まで入れてしまった。
先生の話を普段からよく聞いていない証拠だ。上手くなるはずがない。
この絵はもう少してっせんのつるを入れたい。
奔放に。
鉄線花 うしろを雲のはしりけり 大嶽播水
水彩画のおけいこ
水彩画の教室に通いはじめて、2 年半になる。
水彩画なんて技術的にはそう難しいこともないだろうから、一年もすれば飽きるだろうと思っていた。が、実際には、そんなことはなかった。何枚描いてもうまくかけない。
夏目漱石は、水彩画が好きで良く描いたそうだが、あまり上手くならなかったという。
「遠近無差別、黒白平等・・・」などと小説のなかで言っていて少し自棄(やけ)になった気配だ。気持ちが分かるような気がする。
自分は3 年も習っているのに上手くならないので 絵筆(ふで)折らん花半開の甃(いし)のうへ という駄句をつくった。
花は、満開でなく半開が一番美しいという。
甃(いしだたみ)の上に、桜が五分咲きに咲いていて絵にしたいと思うのだが、あまりの美しさに描くことができない。
そこでもう絵をやめようかと思っているさまを 詠んだつもりである。
甃(いし)は、「石の上にも3 年」の石だ。
駄句につき、句意は、ひとに多分伝わらないだろうが、花を描くたび正直、いきいきしたこの美しい花を、絵にするのは不可能だなといつも思う。
(19.4.22 )
75 帽子の女性
ふたりの女性がテーマ。後ろ向きの女性のほうが、なにやら意味ありげでたのしいのは皮肉。後ろの女性との間に空間が感じられると、良いのだがうまくいかない。観葉植物バキラが間にあるように描きたいものだ。
2枚目の帽子の女性。
帽子の模様と顔の日差しが描きたくて上半身だけにした。未完成である。これからどう変化するか。
たいていは失敗する。
76 芍薬と百合
この絵は、はじめて水彩のぼかしの練習をした作品である。
何か、焦点のないぼやけたものになった。ぼかしだから仕方がない。真中の芍薬は、実際はもっと白い。
百合はなにゆりというのか、ピンクである。構図は壷の位置が少し下すぎはしないか。
イマイチ。
もっと色を塗りたいが、ぼかしの練習なのでここで止める。
77 赤いスカート
スカートの赤い色が上手く描けない。
スカートは薄い己地と少し厚い己地が重なっているのだが、それを表現出来ていない。
羽織っているショールもらしくない。
一番の問題はデッサン。
座った腰が安定していない。
すべてまだまだである。
78 フルーツ
りんごは何回描いてもりんごにならない。
ぶどうも巨峰やマスカットとほど遠い。
二つの梨はなかでも出来が悪い。
バナナも難しい。
要するにすべてが果物になっていない。もちろん、本物と同じでなくてよいのだが、果物らしさがもうひとつ出ていないのだ。味がない。
79 本と貝殻など
この絵は、細密画の練習作品。などとは、チェスと鬼灯とビー球2個。
説明を要する細密画とは情けない。
このなかでは、貝殻が一番難しかった。捉えどころがない。
ビー球も光のかげんが表現できていない。かんじんの本もページというか、紙の質が難儀である。細密画はもっと細いペンがいいのか、良くわからない。
80 アンセリウム
アンセリウムはもっと強い赤である。薄緑のものも赤の下にある。
真中にあるピンクの花の名はわからない。ほかはピンクと白のユリ。デジカメ写真をプリントして病気見舞いにして、二句を添えた。
花の絵に腹の本復祈りをり ご快気をアンセリウムに祈りをり 杜 詩郎
81 チャイナドレス
この絵は、もうない。欲をだして右側に西安の大雁塔を入れて失敗・自滅した。
むかし仕事で西安に行ったことがあってホテルには中国服の美しい従業員が大勢颯爽と服務していたことを絵を描いていて思いだした。
また、はじめて連句を教えて貰ったときに宗匠が
煮物つくるか醤油のにほい 晴坊 と詠まれたとき
白檀やチャイナスリット眼を逸らし 俊 と恋の句を付けた。
恋の句は普通二句続けるので、
ツアーネームはふたりの蘇州 俊 と付けたことを思い出した。今となってはいずれも懐かしい思い出である。
晴坊さんのこと 昨年(H18 年)の暮れ、畏敬する晴坊さんの訃音に接した。晴坊は会社の先輩、岡田晴彦氏の俳号である。
仕事のうえで多くを教わり、酒も一緒に飲み、たくさんの良い思い出をいただいた。
多趣味の文人で落語、俳句、連句は玄人はだしであった。
時折り俳句や連句のことを教えて頂いたことが懐かしい。
私も水彩を習いはじめたんですよ、とグループ展にはじめて出品するときに 母と子の公園デビュー春の風と駄句を付して案内状を差し上げたら見に来てくださった。
「見たよ」とはがきをくださり、 眼福や画廊をでれば春の風 とあった。
むかし、晴坊さんと雑談したとき、青森の酸ケ湯温泉には、 眼福や朝の酸ケ湯の四分六分 という句があったと話したことががあり、 晴坊さんがいたく面白がったことを思い出した。
「眼福や」と言えば私の絵が何であったか容易に分かるというものだが, あとから初心者が出品する絵ではないと人から言われ、愧入ったものの遅かった。
晴坊さんは、僕もまた新しいことを今度始めるんだよとおっしゃっておられた。
それが何かは聞かずじまいになってしまった。
(19.4.2)
82 コスモスと吾亦紅
コスモスも吾亦紅もとらえどころがなく絵にするのはきつい。透明なガラスのジョッキもどう描いたら良いのやら。嘆いている間に終わってしまった。
吾亦紅もコスモスも実物はなんと素晴らしいことか。
真っ先に暮れていくなり吾亦紅 本岡歌子
コスモスのまだ触れ合わぬ花の数 清崎敏郎 汝亦紅「なれもこう」というのはなかったろうか。
富岡さんの絵 かつての職場の我が尊敬する先輩である富岡さんに頂いた2 葉の絵はがき。
上は水彩。
下は6 号油彩。
はがき絵をスキャナーで取り込んでいるので、当然実物とは程遠くなっているが絵の素晴らしさは良くわかる。
2 枚とも作者が何に感動し写しとろうとしたかがはっきりしている。
このような絵をみると、うまく表現できないが平たく言えばやる気をなくする感じがする。
戦意?喪失という感じでもある。
このくらいなら自分でも描けそうだという感じが全くしないのである。
よく水彩でスケッチをして、家に帰ってから油彩を描くということを聞くが、この2 葉はまさにそれである。
こういうことができるのは本当に羨ましい限りである。
83 芝離宮恩賜公園Ⅱ
2 回目の芝離宮スケッチ。上段は現地で描いたもの。
中段は、教室に戻り下段の写真を見て描いたもので鉛筆は8B。
風景は難しいが、ちょっと絵の具でいじると雰囲気ががらりと変わる瞬間がある。
それが面白いのかもしれない。